野鳥に呼ばれて -アーバンライフ編-
RR COFFEEメンバーが日々のあれこれを綴る「豆つぶ日記」。
最近「〇〇に呼ばれて」というタイトルの日記が増えていることにお気づきだろうか。
RR COFFEEの司令塔にして風来坊・有村氏の「島に呼ばれて」シリーズや歌って登れるアルピニスト・ひかひん氏の「山に呼ばれて(常念岳編)」など、メンバーたちは週末になると当人にしか聞こえない声に呼ばれてフラフラとあちこちへ赴いている。
この夏、そんな奇怪愉快なメンバーが集うチームの一員となり、今この日記を書いている。
私は他のメンバーとは異なり、実際に聞こえる声に呼ばれる普通の聴覚の持ち主である。
私を呼ぶ声の主、それは幻聴ではなく「野鳥(やちょう)」である。
「野鳥」とは、読んで字の如く、「野生の鳥」のことであり、読者も日々すれ違っているであろうスズメ、カラス、ハトなどがその代表格になる。
記憶に新しい、宮﨑駿監督作品「君たちはどう生きるか」のポスタービジュアルになった「アオサギ」も野鳥であり、一昔前に一斉を風靡した雪の妖精「シマエナガ」も野鳥である。
一方、愛玩用の文鳥や食用のニワトリといった「飼育されている鳥」は野鳥に該当しない。
もちろん、該当しないからといってそれらの鳥が野鳥に劣るわけではない。
ある鳥はその歌声で飼い主を癒やし、ある鳥は美味しい食材となって人々のお腹を満たす一一どんな鳥も人間にとって大切なパートナーである。
前置きが長くなったが、今回は呼び声の主・野鳥が主役である。
需要が皆無であることは百も承知だが、冒頭で島や山に呼ばれるメンバーたちを揶揄した手前、この機会に野鳥に呼ばれる人もいること、その理由について書いていく。
最初に断っておくが、島回のような胸踊るエピソードや山回のような雄大な自然は出てこない。
赴くのはどこにでもある街の公園であり、登場する野鳥も珍鳥・迷鳥の類ではない。
自宅から歩いて数分のところに川に面した小さな公園がある。
近隣住民の憩いの場であり、池のほとりではザリガニ釣りに興じる子どもたちが、広場の雲梯(うんてい)では黙々と懸垂する小父さんが、木陰のベンチでは相合い日傘の老夫婦が、それぞれの公園を満喫している。
週末には休憩に立ち寄るランナーやベビーカーを押す親子連れが加わり、公園は活気あふれるオアシスとなるのだが、 稀に木々に向かってカメラや双眼鏡を構える人たちに出会うことがある。
彼らの視線(レンズ)の先には、十中八九「羽根の生えた二本足の生き物」がいる。
そう、彼らこそ「野鳥に呼ばれた人」たちだ。
そんな人は見たことがない、という読者もいるだろう。
かくいう私も呼ばれる側になるまで彼らの存在に気づかなかった。
なぜなら、彼らの服装はカーキやブラウンといったアースカラーを基調としており、ほとんど喋らず、動かず、風景の一部と化しているからだ。
一見とっつきにくい印象だが、勇気を出して「何かいるんですか?」と声をかければ、真摯に応えてくれるはずだ。
気の良い紳士なら、撮影した写真を見せてくれたり、双眼鏡を覗かせてくれるかもしれない。
そんなシーンに遭遇したら、遠慮せずご厚意に甘えてほしい。
レンズ越しの野鳥は一見に値する。公園に話を戻そう。
公園にはスズメやカラスの他にも沢山の野鳥が生息しているが、野生動物である彼らは木々や藪の中を移動しているので人目にはつきづらい。
目を凝らせば枝から枝へ羽ばたく姿が見えるはずだが、肉眼では種類の特定は難しいだろう。
だが、安心してほしい。
お手元のスマホから以下のサイトにアクセスし、見た鳥の大きさ、色、季節、生息地を選択するだけで、テクノロジーが候補の野鳥を提示してくれる。
日本の鳥百科
視認できなかった場合は鳴き声からも検索できるので、耳を澄ませて鳴くのを待ってみよう。
種類がわかれば、その野鳥との顔合わせは完了、次回いつどこで出会っても「この間はどうも」と言い合える仲になる。
人間とは違い、連絡先の交換や飲み会をセッティングする必要はなく、目配せで旧交を温めあうのみだ。
このあたりから理解が得られなくなってくるかもしれないが、ここまで付き合ってくれた心の広い読者であれば「こういう人もいるよね」と許容してくれるだろう。
結論、野鳥たちはこの絶妙な距離感を保ってくれる"顔なじみ"なのだ。
顔なじみが増えてくると、初めて訪れた公園も行きつけの喫茶店に思えてくるから不思議である。
お互いの顔や名前は知っていても、年齢や出身地は知らない。
希薄と言われればそれまでだが、歳を重ねると深入りしない(されない)関係は意外と得難い。
あえて、浅く。
そうすると、暮らしも少し飲みやすくなる。